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2012年3月1日

<沖縄音楽旅行Vol.02>備瀬善勝氏コラム -前編-

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「沖縄の歌のオジィの知恵袋」

【第2回】
沖縄音楽歴史を伝承。戦前から戦後復興
談:備瀬 善勝

<普久原朝喜が戦前から戦後につないだ沖縄の音楽>
昭和初期、普久原朝喜のマルフクレコードが、歌詞はもちろん曲まで新しい沖縄の歌、新民謡を世に送り出しました。人々に次第に受け入れられ、「移民小唄」や「無情の唄」、「世宝節」は、現在も歌い継がれています。ほかにも数多くの歌が生まれました。彼が残したSPレコードの数々は、新民謡だけではありません。「歌劇小」といわれた沖縄芝居の唄や古い民謡、明治大正の古典音楽の蓄音機(注1)の音源(名人仲泊兼蒲、屋嘉宗勝、久田友栄、平良雄一など)が残っています。
30年(昭和初期)にマルフクレコードに在籍していた主なアーティストは、普久原朝喜、京子(朝喜の妻)をはじめ、多嘉良朝成、宮城輝忠、多嘉良カナ、比嘉良順、伊集亀千代、玉城盛義、知名定繁、大宜見小太郎など錚々たるメンバー。戦後に活躍した人も多く、SPレコードのタイトル数は500曲を超え、膨大な数の作品を残しました。
戦前(昭和20年8月15日以前)は、映画や芝居だけではなく、レコード化の際には歌にも検閲が必要だった時代。そのため、朝喜の「軍人節」は『琉球人の歌が「軍人節」とは何事だ』と指摘を受け、発売時に「入営出船の港」へとタイトル変更を余儀なくされました。この歌は、『軍人節→ツラネ→揚七尺節・熊本節→ツラネ→だんじゅかりゆし(注2)』の順で歌われました。SP盤2枚組という当時としては長い曲(戦後昭和30年代に息子の普久原恒勇が「軍人節」と「熊本節」をそれぞれEPレコードで発売し大ヒットした)です。この新曲が認知されると次々と新民謡が生まれ、沖縄芝居などでも新しい歌が生まれました。例えば、西洋の音楽畑の人でバイオリン製作者でもあった新川嘉徳作詞作曲「梅の香り」や「帰郷節」、知名定繁「仲島小唄」、山内盛彬作曲「首里から下りてぃぬ三番目」の歌劇の曲(通称「山内節」)などが当てはまります。戦後に屋嘉の収容所で金城守堅が新しい歌詞を付けた「屋嘉節」。戦後の作品「ヒヤミカチ節」は、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
マルフクレコードの新民謡の影響は、昭和30年代の沖縄の第一期民謡ブームにも引き継がれました。そのきっかけのひとつとも言えるのが、彼が昭和22年に作詞作曲した「懐かしき故郷」。そして、昭和26年戦後初めて沖縄と本土間に就航した黒潮丸から県出身者を迎えたときに生まれた「通い船」(昭和35年EPレコードとして発売)ではないでしょうか。
沖縄では50年代からジュークボックス(注3)とラジオの沖縄民謡番組が大ブームとなりました。そのときに発売されたEP盤(ジュークボックスにはSP盤が使用できる機械がほとんどなかった)の「通い船」と石原節子・城間ひろみが歌った「ちぶみ(津波恒徳作曲)」のカップリングが大ヒットを記録。それ以降、新民謡がどんどん生まれ、たくさんのヒットも出ました。例えば、嘉手苅林昌・山里ユキ「嘆きの梅(知名定繁作品)」、瀬良垣苗子「うんじゅが情どぅ頼まりる(知名定男作品)」、「月挑み(冨着よし作詞)」・「芭蕉布」(ともに普久原恒勇作品)、RBCレコードの大ヒット曲「ちんぬくじゅうしい」……と、ここに書ききれないほどの大ヒットがジュークボックス時代に次々と誕生しました。

(注1)円盤レコードの溝に針を接触させ、録音した音を再生させる音楽装置。
(注2)中世の猿楽・延年舞の演目の一つで、言葉や歌謡を朗読するもの。緑語・掛詞を使った音楽的なセリフ。
(注3)硬貨を入れて選択ボタンを押して自動的にレコードを演奏させる音楽装置。


(左)普久原朝喜の顕彰碑(マルフクレコード創設者)。平成5年、普久原朝喜生誕90年を記念して、沖縄市「沖縄こどもの国」に建立された。メインゲート手前にある。
(右)新川嘉徳の顕彰碑。出身地の西原町「小那覇児童公園」に建立。「梅の香り」の歌詞が刻まれた歌碑、歌の流れるスピーカーを設置し、その功績を今に伝えている。

【PROFILE】
備瀬 善勝
Yoshikatsu Bise
多数の民謡音源の制作に携わる。百沖実行委員会の委員長。沖縄市でキャンパス・レコードを経営。作詞家としても活動しており、普久原恒勇、知名定男らに詞の提供もしている。

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