2011年6月9日
2001年に「第1回うたの日コンサート」を開催以降、毎年出演者に趣向を凝らし、進化を遂げてきた「うたの日コンサート」。昨年区切りの10回目を終え、新たな歴史を積み上げていく。今年は6月25日に「うたの日コンサート」史上初、沖縄本島を離れBEGINの故郷、石垣島での開催が決定。デビューから20年、うたとともに歩き「うたの日」を提唱し伝え続けているBEGINの想いに迫った。
ー昨年は10回目というある意味区切りの年でした。そして今年、新たな歴史を積み上げていきますが、なんとBEGINのみなさんの故郷八重山で開催することになりました!
島袋優(以下 優):行ってしまいますね~(笑)。
ー「うたの日コンサート」を開催し続けている中で、いつかは八重山でという想いはあったんですか?
上地等(以下 等):どこかにはその気持ちもあったかもしれないけれど、現実的には無理だと感じていたと思います。それよりも、スタートしたころは「うたの日コンサート」をやり続けることが課題でした。場所を選んでる暇もないくらいでしたね。
ーそういう意味でも今回の石垣島での開催は楽しみですね。
3人:そうですね~。
ー「うたの日コンサート」を始めたきっかけを教えてください。
比嘉栄昇(以下 栄昇):さだまさしさんが開催していた『夏 長崎から』(1987年~2006年)というコンサートに参加させてもらったときに、うたしかないなと感じました。そこにはヒット曲や旬のアーティストという括りのない、歌だけがそこにあるという不思議な空間を味わわせていただいて……。こういうことが出来るんだと思いましたね。ちょうどBEGINのデビューから10年経ったころでした。そのときに僕らは、沖縄のために何ができるのかと考えました。
さださんから受け取ったバトンではあるけど、どんなコンサートができるのか。沖縄には今でも基地があるし、いろいろな問題を抱えている。だから戦争を過去のこととして考え、うたを結びつける平和コンサートにする訳にはいかない。メンバーやスタッフとも何度も話し合いました。その結果、ひとつの答えのようなものが見えたんです。戦前から沖縄にはうたがあり、そのうたが沖縄の人々の暮らしを明るく照らしていた。うたがあるからこそ今の沖縄があるんだということを僕らが伝えるべきだと思いました。それが「うたの日」の始まりの想いだったんです。
ー「うたの日コンサート」についてインタビューを重ねることによって、今では僕も「うたの日」を毎年お祝いしたいと思うようになってます(笑)。継続前提でスタートされたと思うのですが、11回目を迎える今の率直な気持ちは?
優:もちろん継続が前提ですが、続けていくのは僕たちじゃなくてもいいなと思っているんです。僕らがいなくなったあとでもまだ続いていたらいいなと。そういう意味で、必ずしも僕らがホストじゃなくてもいいなと思っているんです。ただ「うたに感謝」という軸は守っていかなきゃならないという使命感はあります。ちょっとでも軸がズレたらいろんなものに変わっていきそうな気がしますから。
ーそういう意味ではまだ「うたの日」を育てている段階というですか?
等:そうですね。「うたの日」の扉を開けておかなきゃならない。いろいろなルールを作るのではなく、自由にお祝いする。「うたの日」はお祝いだから臨機応変に。そういう意味では僕らがまずそれを実行していかなきゃならない。しっかり浸透するまでは、僕らがやり続けなければいけないと思います。
栄昇:いちばん大切なのはやりたいと思うかどうかだと思う。僕らは今、使命感ではなく「やりたい」と思っているんです。そして「伝えたい」と。「沖縄はうたの島ですよ」と。今でも沖縄は色んな問題を抱えているけど「うたがあるから大丈夫」と言いたい。そんな想いがありますね。
ー沖縄の先人達は、うたによって励まされ、励まし合いながらこの島の歴史をつくってきた。だからこそ、そのうたに感謝なのですね。
栄昇:「うたの日」がお祝いなんだと。祭りではなくお祝いなんだと気づいてからは気持ちが楽になった。以前こんなことがありました。武道館公演が終わり、家に帰ってひと息ついてボーッとしていたら家族が「これからお祝いするから準備して」っていうわけ(笑)。「うっそー」と思った。「これはお祝いなんだからみんなで乾杯しないでどうするの?」と言われ、眠っていた子どもは起こされ、僕はビールを注がれて「ハイ乾杯」なんて(笑)。これで縁起が良くなるんだから、カリーつけようと頑張ってお祝いする感じ。そのとき「これが沖縄なのかもな」と気づいた。武道館公演のあとのあの乾杯のときに感じたことが今に繋がっていると思う。
ーこんなときだからこそ「うたの日」って大事なんだと思います。そしてBEGINが生み出していくうたも。
栄昇:「うたの日」をやってる以上は、僕らがどんなうたを作っていくのか、歌っていくのかと試されていると思うんですよね。ビートルズでもプレスリーでも美空ひばりさんでも、新曲が出ないんだと思うと寂しくなるんですよね。だから僕らは新たなうたを生み出していかなきゃいけない。将来的には、楽器がなくてもみんながアカペラで歌えるうたを作ってみたいと思っています。「月ぬ美しゃ」を歌いながら歩いてるおじいとか最高。
優:最高だね(笑)。月がのぼった田んぼ道を歩きながら歌われたら完璧だね(笑)。そんなうたをつくってみたいね。
ーBEGINがデビューして20年。この間作ってきたうたの流れを見ていても、どんどんシンプルになっている気がします。うたを伝えるための「引き算」ですね。20年はひとつの通過点だと思いますが、これからBEGINが歩んでいく道は、どこに向かっていくのでしょうか?
等:次のレコーディングはどうなるのか凄く心配しているんです(笑)。
栄昇:次はどこへ行こうかと(笑)。
等:まだ見えてない部分もあるんですよね。栄昇の言葉を借りれば、「いまは試されてる」。
音楽をやるものとして試されていると思うんです。だからこそライブをちゃんと続けていくことが大切だと思います。毎年ちゃんと続けていくことは意外に大変で。そのためにはちゃんと新しいうたを生み出していかないといけない。
優:先日ジョージ・ハリスンを久しぶりに聴いてたら、ハワイアンとロックンロールが混ざった曲があって純粋にドキドキしました。音楽を始めたころに感じたワクワクするようなロックンロールをBEGINでもやりたいなと思いました。結成20周年を迎えて僕らも今年43歳になるけれど、今でもやりたい音楽がまだまだたくさんあると思えるのは幸せだと思います。
ーそれでは、最後にあらためて伺います。故郷石垣島で開催する「うたの日コンサート」、ズバリどんなコンサートにしたいですか?
優:地元の同級生たちが僕らのステージを見て、誇らしく思ってもらえるようなステージにしたいですね。
等:どの業界も、今年はずっと震災のことを考えながら動く年になると思うんですが、楽しい笑顔を見せるのが一番いいのかなと思いますね。そしてフェスという形での開催がまだまだ少ない石垣の方に楽しんでもらいたい。おじいとおばあも含めてね。
栄昇:石垣で「うたの日」をやるので、ひと休みに来てください。僕たちがうたとともに迎え入れるから、ソファに腰掛ける感覚で、少し休みに来てください。そういうコンサートにしたいですね。
ー今回のうたの日コンサートが、全国の方々のソファのような存在になることを心から祈っています。本日はありがとうございました。
3人:ありがとうございました。
【プロフィール】
沖縄県石垣島出身。1990年「恋しくて」でデビュー。
その後も順調にシングル、アルバムのリリースを重ね、ツアーやイベントなど数多くのステージをこなし、日本屈指のライブバンドとしての位置を確立した。2000年に発表した「涙そうそう」は、多数の音楽家により世界各地でカバーされ、現在でも歌い継がれる楽曲となっている。2001年6月、自らの企画でスタートした「うたの日コンサート」の開催や、2003年に考案した、世界一簡単に弾き語りができる四弦楽器 『一五一会』が注目を集めるなど、自らの信じた音楽活動を展開。ブルースから島唄まで、幅広い音楽性と温かいサウンドで多くのファンを魅了し続ける。