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2011年3月4日

下地勇インタビュー ミャークフツの歌詞に込めた、熱き男の想い。

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沖縄LOVElogスペシャルインタビュー001下地勇

先日1年9ヶ月振りの新作『NO REFUGE』を発表したばかりの下地勇。宮古島方言(ミャーフクツ)で歌うシンガーとして有名だ。自身のアルバム制作活動にとどまらず、パーシャクラブのボーカル及び三線奏者である新良幸人とのユニット「SAKISHIMA meeting」やBEGINの島袋優とのユニット「シモブク・レコード」など、様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。
また、3月2日に発売される、BEGINのデビュー20周年を記念したトリビュートアルバム『BEGIN 20th ANNIVERSARY SPECIAL TRIBUTE ALBUM』では「NO MONEY BLUES」を宮古方言でカバー。島の男臭さを巧く表現した。このインタビューではその下地勇のソウルとも呼べるミャークフツ、またライブ活動や創作に対する思いを聞いた。

ー「NO MONEY BLUES」について話を伺いたいのですが、この曲ではオリジナルの歌詞をミャークフツにアレンジして歌われていますね。これは下地さんが訳されたんですか?
ええ。ただオリジナルの歌詞を直訳するだけでは、しっくり来ないんですよ。例えば「ベンツにビーエム、ポルシェにアルト」という歌詞はミャークフツの中に突然出てきても、しっくりこないな…と思って。そこでお許しを得て「クボタんヤンマー、高級ハーベスター」とアレンジさせていただきました。
ー面白いですね。今回のカバーに限らずほとんどの作品をミャークフツで歌っていますが、難しさを感じることもあるのでは?
そうですね。的確なミャークフツがないこともあるんですが、だからと言って別の言葉で代用すると、歌詞全体の流れが変わるので、結局引き返して作り直すことになります。以前は一度標準語で歌詞を考え、それを訳していましたが、今は方言で書き始められるようになったので、その点は楽になりました。歌い始めた頃は方言を全然しゃべれなかったんですよ。当初はそれでもしゃべれるようにカッコつけて見せてたんですが、ライブ会場でMCの途中に「方言でしゃべろ」と野次が飛んできたりして、しかもそれに対応できなくてものすごく恥ずかしい思いをしました(笑)。やはり、なんちゃっての化粧は剥がれていくもんだなと思いました(笑)。最初から方言でしゃべったり、方言で夢を見るくらいでないと本物じゃないと先輩方からも言われ、方言辞典や宮古島の言葉集みたいなものを手に入れて、自分で調べていくうちに身に付いてきました。上達するにはやはり会話ですね。失敗を恐れずに会話していくこと。そういうことを重ねて、ミャークフツが自分のものになっていったのだと思いますね。

下地勇

ー逆にミャークフツで歌うことの良さを感じるのは?
例えば英語だと、理解できる人は多いけれど、ミャークフツだと全く分からないという点ですが逆に響きの美しさを際立たせてくれるんです。野暮ったい言葉だとか、放送禁止用語以外でも歌詞にできる(笑)。言葉とはいえ、音の響きだけで感じてもらえるので。『いまからさとうきび畑に行ってくるさ』という何気ない歌詞でも、方言にするとお洒落な感じに聞こえたり(笑)。加え、ミャークフツがじょじょに自分の中に入るにつれ、表現に広がりが生まれる。方言には比較的新しい言葉から、いまでは死語となっている言葉もあり、それを再発見するのも楽しみですね。先人たちはよくぞこの言葉を使ってくれたな…と(笑)。普段から常に使っていたいんですが、話す相手がいないためにしゃべれないというもどかしさを感じています。僕の中では、方言にはプラチナのような価値がついていますが、コンプレックスを抱く方もいる。過去には方言札というのがあり、団塊の世代から僕の5つくらい上の世代には、方言を使うと罰せられたという歴史がある。標準語を使いなさいという中央から来た流れに乗せられ、方言を卑しいとか恥ずかしいと思っている人たちが今でもいるんです。そういう方からは、なぜ方言で歌うのかって聞かれることも。すぐに理解してもらうのは難しいけれど、長い時間をかけて、それこそ僕がいなくたった50年後に「いいね」って言ってくれる人がいたら、僕はそれでいいと思ってます。

ー下地さんの音楽には、歌詞はミャークフツに拘りつつ、演奏にはあらゆる国の楽器を取り入れている点も特徴があると思うのですが。
そうですね。笛の音が好きですし、弦の音も好きです。実は小学6年生のときに三線クラブに入っていて、それが僕の初めての楽器体験なんです。そこで宮古の主要な楽曲を教わったのですが、三線は沖縄のイメージに直接つながるせいか、音色が少し入るだけで「あぁ、島の風だ」ってなるんです(笑)。だから僕は三線を老後の楽しみに取っておこうかな、と思って(笑)。あえて別の楽器を用いています。
民族音楽を取り入れようという気持ちではなくて、宮古のクイチャー(宮古島の伝統的な踊り。新築祝いや五穀豊穣、雨乞いまで幅広く踊られる)のリズムを取り入れようと思っています。人間のパワーって生々しい。そうしたソウルを考えたとき、土臭いイメージに行き着くんです。そうするとやはりドラムにしても8ビートとかではなく、血がたぎるようなイメージで、タムをものすごくたくさん使いながらリズムを細かく刻む表現に行き着くんです。そうすると意識した訳でもないのに「南米みたいね」とか「アフリカみたい」とか言われるんです。

ービデオクリップ「民衆の躍動」も砂漠のような場所で撮影されてますよね。
名護の天仁屋で撮影しました。今回のアルバム『NO REFUGE』のジャケットもうるま市で撮影したんですよ。アリゾナみたいに荒涼とした場所があるんです(笑)。イメージって恐ろしいもので、楽曲を聴いてジャケットを見ると、外国で撮影したものだと思っちゃうみたいですね。そういった概念を突き崩していくのは面白い。言葉もそうでワールドミュージックだと思って聴いていたら、実は沖縄のある島の言葉だった。そうやって人の概念を崩していくと僕はウキウキするんです。
ー海外での活動について聞かせてください。韓国や台湾ではとても評判だったと聞きました。
予想以上というか、予想を壊されたと言ってもいいくらい反応は熱かったですね。
ーどういうところが受けたと思いますか?
持ってないものに対する憧れが強いんじゃないかと思いました。今の韓国の音楽シーンは、カラオケを出して歌うとか、バンド演奏をするというスタイルがメジャー。もしくはヒップホップ、ダンスやラップが主流なんですが、一人でアコースティックギターを持って歌うという僕のようなスタイルはまれのようで、珍しがられたかもしれませんね。

下地勇
ー言葉の壁に悩まされたことはありませんでしたか?
もうやるしかないって感じですよね。どうなるかは、やってみるまで分からない。お客さんも僕が言葉がわからないことは最初から承知でしたので気負うことはなかったですね。普段通りの演奏ができました。ただMCは大事ですね。地元の言葉をちょっと勉強していきました。やはり地元の言葉を使うとみんな盛り上がって受け入れてくれますし。
海外とは逆に、県外でライブをやるとまるで「同じ日本人なのに伝わらない」というハンデを、僕が背負っているかのような空気感が漂うことがあります。僕はそんな風には思っていないんですが…。やむ得ないことですが、日本人は歌詞を通して共感したいと思っている人が圧倒的に多い。ファンの方々は僕がミャークフツで歌うのをわかっているんですが、ジョイントライブや何かのイベントに出るときなど、初めて僕のステージを見る観客が大勢いるときは、そういう空気になることがありますね。そのときはMCで標準語を使って曲の解説や方言の面白いところを紹介すると、みんな受け入れてくれます。
ーそれがあるとまた聞きやすくなりますね。
そうですね。曲の世界の入り口を広げるのは僕の役割だと思ってます。

下地勇
ー今後の予定や目標などはありますか?
全国ツアーです。47都道府県をくまなく回ったことがないんです。これまでは多くて12か所位だったので、次は全国ツアーにチャレンジしたいですね。そして積極的に海外でも歌っていきたいです。
ーこれまで訪問された国は非英語圏が多かったように思えますが…。
そうですね。ですから今年はイギリスを含め欧州で演奏したいです。少しずつ広げていきたいです。
ー次のアルバムはどういった感じになりそうですか? ソロ作品ではカバーや客演はなく、作詞作曲プロデュースまでひとりでこなしています。
そうですね。ソロアルバムに関しては完全に自分の創作物と考えています。作家が一冊の小説を書き上げるイメージで僕も作っています。アルバム全体でひとつの作品だと考えています。
ーそういえば小説にはカバーなんてありませんね。
カバーを敬遠している訳では決してないんです。自分のアルバムという作品を作るときに、しっかりコンセプトを固め、伝えたいことを明確にして作り上げていきます。売れることよりも今後も残っていくことを念頭に置いています。そして僕の命が終わっても、思想やソウルが脈々と受け継がれ、ひとりでも多くの人と共感できるような作品であってほしいと思っています。

下地勇
ー残って欲しい曲と言えば「100年先に残したいおきなわのうた」には下地さんにも協力していただきローリークックの「フェンスに消えた花嫁」を挙げていただきました。
ローリーさんほど人間世界を研究して、それを自分の言葉で表現できる人は他にいないと思うんです。それでいて、叙情的ではない。そこに感情を表すことなく、起こった事実を淡々と表記しているだけで、その時代背景や主人公の気持ちをリスナーに想像させる力や、内面のひだをえぐるような切なさを描く力を持っている。詩人ですよね。沖縄の青い空、青い海を一切歌わずに内面を叙事的に表現している。ローリーさんが小説を書いたら凄くいい作品になると思う。実はローリーさんに直接そう話したことがあるんです。お酒を飲みながら。
ーローリーさんはなんと答えましたか?
バカヤロウと(笑)。
ー照れ屋さんなんですかね(笑)。ローリーさんと一緒にライブをする予定はないですか?おきなわのホームソングの「ソウルチャンプルー」で一度コラボレートしていますよね。
ええ、よく可愛がってもらっています。ローリーさんの家に呼んでいただいて、二人で飲むこともあるんです。最近ではTHE WALTZの25th Birthday Liveにゲストで呼んでいただき、初めてTHE WALTZのステージで歌わせていただきました。感激しました。本当に憧れているんです。
ーSAKISHIMA meetingやシモブク・レコードのように一緒にレコーディングしたりしないんですか?
恐れ多くも僕からはそういうことは言えないです。もしローリーさんからお誘いがあったら喜んでやりたいですね。でもローリーさんはそうしないでいて欲しくもあるんです。なんと言いますか、孤高の表現者でいて欲しいという気持ちもあります。いまのこのスタイルを貫き通して欲しいな。
ー3月には沖縄国際アジア音楽祭 musix 2011への出演が決まっていますね。
はい。18日の県庁前広場で歌います。新良幸人さんと一緒にSAKISHIMA meetingと、ソロでも歌います。また沖縄国際映画祭でも、地域映画という形で宮古島から『一粒の種』という作品が出品されるのですが、その中で僕が宮古島のひとたちと一緒に「一粒の種」(下地勇作曲)を歌っていて、その舞台挨拶をすることになりました。レッドカーペットにも立つんですよ(笑)是非みなさん会場にお越しください。


下地勇『No Refuge』
【下地勇/No Refuge】
ARTIST:下地勇
CD TITLE:『No Refuge』
RELEASE:11年1月19日
PRICE:2,500円(tax in.)
CODE:TECI-12949

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