平和への願いを込めて、沖縄で歌い継がれて来た名曲「月桃」!
2025年版ニュー・ヴァージョンにてリリース!!
「月桃」は、沖縄県沖縄県与那城町(現うるま市)平安座島出身のシンガー・ソングライター海勢頭豊によって沖縄県復帰から10年後の1982年に制作、発表された。毎年6月23日の慰霊の日が近づいてくると学校など県内各地で歌われる、非戦を願う沖縄県民の愛唱歌だ。海勢頭自身が製作・音楽を担当し1996年に公開された、文部科学省選定の映画『GAMA 月桃の花』の主題歌として、全国にも広く知られている。
同曲は、2022年6月22日、沖縄本土復帰50年の節目にリリースしたウチナー・ジャズ・オール・スターズによるアルバム 『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』に安富祖貴子を起用し収録され、極上の沖縄ジャズ・サウンドにのせて平和のメッセージを伝えた。
戦後80年となる今年の慰霊の日に合せ、2025年版ニュー・ヴァージョン(演奏:真栄里英樹 BIG BAND ボーカル:安富祖貴子)を制作、2025年6月20日に配信リリースされることとなった。「戦争をしない勇気をもって、未来をたくましく生きて欲しい……」。歌に込められた願いを昇華し、美しいメロディーとともに非戦の思いを届ける。
「月桃」演奏:真栄里英樹 BIG BAND ボーカル:安富祖貴子 2025年版ニュー・ヴァージョン
ARTIST:真栄里英樹 BIG BAND/安富祖貴子(Vo)
CD TITLE:「月桃」2025年版ニュー・ヴァージョン
RELEASE:2025年6月20日
CODE:RECD-228
MEDIA:digital release
LABEL :Respect Record
詳細:「月桃」2025年版ニュー・ヴァージョン
ウチナー・ジャズ・オール・スターズ「月桃」 MV(ムービーは旧バージョンです)
【安富祖貴子 Profile】
沖縄県金武(きん)町生まれ。4歳からクラシック・ピアノを習い始める。2000年、沖縄のラテン・ロック・バンド「ディアマンテス」に加入。2006年、ジャズ・ボーカリストとしてファースト・アルバム「魂/Kon 」をリリース。2007年、セカンド・アルバム。2008年、サード・アルバム。2009年、2011年、2012年にアルバムをリリース。現在も沖縄を中心にライブ活動を続けている。2022年1月には「Okinawan Divas 2022」コンサートに出演。情感溢れる歌声が魅力的な、沖縄を代表するジャズシンガー。
【真栄里英樹 BIG BAND Profile】
17名編成(5sax、4tb、4tp、pf、gt、bass、dr)からなるビッグバンド。2016年結成。沖縄県内のジャズのトッププレイヤーで構成される。沖縄県内を中心に、イベントやライブ活動を展開中。2022年5月30日には「映画・CMに聴くJAZZ」と題したコンサートを開催。現在も、第一線で活躍中の、沖縄を代表するBIG BANDの一つ。リーダーの真栄里英樹は、2022年6月リリースのウチナー・ジャズ・オール・スターズのアルバムをプロデュースし、翌年には同アルバムが「CDショップ大賞」の沖縄ブロック賞を受賞。
沖縄本土復帰50周年、沖縄ジャズ界のスターが一同に会し、
ウチナー・ジャズの熱きビートを届けます
戦後、アメリカ軍から沖縄にもたらされたジャズは、1950〜60年代に興隆を極めた。アメリカ、フィリピン、東京から入ってきたジャズ・ミュージシャンたち。その演奏に接し沖縄の演奏者たちも徐々に実力を付け、屋良文雄や上原昌栄ら名プレイヤーを排出した。沖縄の戦後史とともに、物語を紡いできたウチナー・ジャズを伝えるべく、2008年にリリースされたアルバムが『ウチナーJAZZ!』だった。
そのリリースから14年、ウチナー・ジャズのバトンを受け継ぐべく、沖縄本土復帰50年を迎えた2022年、ウチナー・ジャズ・オール・スターズによるアルバム『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』がリリースされる。沖縄の新しい世代のビッグ・バンド・ジャズを牽引する真栄里英樹がプロデュースを担当、80代から90代の沖縄ジャズ界のレジェンド・ミュージシャンたちと融合した、ウチナー・ジャズの新たな時代の扉を開くアルバムだ。
本作の演奏は、真栄里英樹 BIG BAND、ドラマーの上原昌栄(86歳)、2022年に92歳となるアラン・カヒーぺ参加のJIJI324や、長きに渡りウチナージャズを牽引してきたテリー重田(81歳)のテリー重田カルテット、そして故屋良文雄氏の息子の屋良朝秋の寓話カルテット、さらにボーカリスト安富祖貴子らが参加している。
収録曲は、沖縄民謡から「ヒヤミカチ節」や「でんさ節」、1969年4月NHK「みんなのうた」で放送され話題となった「えんどうの花」、慰霊の日には欠かせない名曲「月桃」、「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブジャズ」などのスタンダード、そして今作のための書き下ろしのオリジナル「ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン」など全15曲を収録、沖縄が世界に誇れる、ウチナー・ジャズならではのオリジナルティー溢れる内容となっている。『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』で沖縄の歴史と幾多のストーリー、そしてウチナー・ジャズの未来を感じて欲しい。
【ウチナー・ジャズ・オール・スターズ/ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン】
ARTIST:ウチナー・ジャズ・オール・スターズ
CD TITLE:『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』
RELEASE:2022年6月22日
PRICE:3,300円(tax in)
CODE:RES-339
詳細:『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』Website
備考:28pブックレット封入 アルバム解説、曲解説、ヴォーカル曲の歌詞付き
2022年3月「那覇文化芸術劇場なはーと」にて録音
【ウチナー・ジャズ・オール・スターズ 『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』収録曲】
M.01 ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン(オープニング・ヴァージョン/オリジナル曲)
M.02 ヒヤミカチ節 (沖縄民謡)
M.03 月桃 (ボーカル:安富祖貴子)
M.04 かりゆし(ロング・ヴァージョン/オリジナル曲)
M.05 ウチナー、ワンダフル・トゥナイト (オリジナル曲)
M.06 マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ (スタンダード曲)
M.07 えんどうの花 (ボーカル:安富祖貴子/沖縄歌謡)
M.08 でんさ節 (沖縄民謡)
M.09 童神~天の子守唄~ (沖縄音楽)
M.10 ミッドナイト・イン・コザ (オリジナル曲)
M.11 レキオス・ブルース(オリジナル曲)
M.12 シング・シング・シング(スタンダード曲)
M.13 かりゆし (ショート・ヴァージョン)
M.14 ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン (エンディング・ヴァージョン)
M.15 酒とバラの日々(スタンダード曲)(ボーナストラック)
演奏:真栄里英樹 BIG BAND:①②③④⑤⑫⑬⑭
17名編成:5sax、4tb、4tp、pf、gt、bass、dr
屋良朝秋 寓話カルテット:⑨
pf:屋良朝秋、a.sax:Bun岩崎、bass:比嘉辰雄、dr:津嘉山善栄
テリー重田カルテット:⑧⑩
t.sax:テリー重田、pf:玉栄政昭、bass:⻄川勲、dr:津嘉山善栄
JIJI324:⑥⑪
t.sax:アラン・カヒーぺ、pf:宮里政雄、bass:⻄川勲、dr:金城吉雄 ※324とは4人の年齢の合計
アラン・カヒーぺ&宮里政雄
ウチナー・ジャズ・オール・スターズ「ヒヤミカチ節」 MV
ウチナー・ジャズの歴史
第二次世界大戦後、沖縄を統治下に収めたアメリカは、基地内外でさまざまな娯楽行事を実施しました。その一つがジャズコンサートであり、カウント・ベーシー、ルイ・アームストロング、ライオネル・ハンプトンなど大物ミュージシャンが沖縄に来ました。また、フィリピンからも多数のジャズ・ミュージシャンを呼び、コンサートを行いました。本作のレコーディングでテナー・サックスを演奏しているアラン・カヒーぺも、フィリピンから1951年に沖縄を訪れ、以降も帰国することなく、現在に至ります。
沖縄ジャズの歴史は、終戦の年(1945年)、アメリカ軍が地元の芸能人を集め、琉球芸能連盟を結成させたことから始まります。1947年12月には、正式にプロのバンドとして「南の星バンド」が登録され、嘉手納のグリフィン劇場(野外)のステージを踏んでいます(当時の出演料は、ラッキー・ストライク2ケース)。
その後、1950年代に入るとジャズは隆盛を極め、基地内のクラブは増え続け(最盛期で36ヶ所)、さらに多くのジャズミュージシャンが必要とされました。そこでアメリカ軍と時の政府は、地元でのジャズミュージシャンの育成に乗り出し、中学、高校で吹奏楽部に所属していた者たちがその要望に応えました。最初はジャズ独特のグルーブやノリが解らなかった為、カカシ(楽器を演奏している振りをして立っているだけ)としてステージに立ちました。そんなジャズビギナーも、基地で手に入れたレコードや、アメリカ、フィリピン、そして東京から来るミュージシャンの演奏に接するにつれ、徐々に実力を付けて行きました。
当時、ジャズミュージシャンは花形でした。給料が公務員の2~3倍あったからです。1950年代から(特に1952年から1955年に掛けてミュージシャンの数は増えて行き、1958~59年には15のビッグ・バンドがありました。)60年代は沖縄中でジャズが聞かれ、ミュージシャンは夜10時頃に基地内での演奏が終わると、今度は基地の外のキャバレーで演奏を続けました。まさに沖縄ジャズの黄金時代であり、アメリカ人のみならず沖縄の人々にとっても、ジャズは特別な音楽ではなく、大変身近なものとして広く愛されていました。
1972年の日本復帰以降は、予算の削減から基地内のグラブ景気は衰退の一途をたどり、ミュージシャンの解雇も相次ぎました。その後、ホテルのラウンジなど民間の施設に演奏の場は移り、1980年以降は、ピアニストの屋良文雄の活躍もあり、ジャズイベントが定期的に行われ、またジャズを中心に演奏するライブハウス(「寓話」「インタリュード」など)も活況を呈する様になりました。現在、ベテランから若手ジャズミュージシャンの活躍もあり、ウチナージャズの火は消える事なく、熱く燃えています。
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