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2014年6月25日

沖縄の歴史と音楽 其の五 ビセカツ連載コラム11 沖縄音楽旅行Vo.11

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連載:沖縄音楽かたやびら バックステージから見た沖縄音楽の歴史

沖縄の歴史と音楽 其の五
沖縄音楽は、歴史とともに変化してきた。琉球王朝時代から戦後の沖縄音楽までを解説。
邦楽ジャーナル(2000年7月出版)への寄稿文を基に
沖縄民謡界の重鎮ビセカツ氏が再監修し今に伝える連載コラム。

戦後、沖縄民謡を隆盛に導いた唄者が続々と帰沖
県民が少し落ち着きを取り戻した頃、本土や外地(主に南洋諸島)から、引き揚げ者が帰って来た。戦後の沖縄民謡を隆盛に導いた小浜守栄や嘉手苅林昌も南洋諸島から帰ってきた。当時は仕事といえば米軍キャンプ内での仕事しかなかった。とりわけ「炊事係」は米軍の豊かな食糧の余徳にあずかれるから憧れの職場だった。それで基地の街、コザの山内昌徳や近くに住んでいた小浜守栄の家が歌者のたむろする場所になった。ふたりとも食料に困らない軍の仕事に就いていたからである。

1960年代、ジュークボックスとラジオの普及で大ブーム
沖縄では1960年代からジュークボックスとラジオの沖縄民謡番組が大ブームとなった。そのときに発売されたEP盤(ジュークボックスにはSP盤が使用できる機械がほとんどなかった)の「通い船」と石原節子・城間ひろみが歌った「ちぶみ(津波恒徳作曲)」のカップリングが大ヒットを記録。それ以降、新民謡がどんどん生まれ、たくさんのヒットも排出される。嘉手苅林昌・山里ユキ「嘆きの梅(知名定繁作品)」、瀬良垣苗子「うんじゅが情どぅ頼まりる(知名定男作品)」、「月挑み(冨着よし作詞)」・「芭蕉布」(ともに普久原恒勇作品)、RBCレコードの大ヒット曲「ちんぬくじゅうしい」……等、数多くの大ヒット曲がジュークボックス・ラジオ時代に誕生した。

米軍基地と沖縄音楽の環境の変化
昭和25年(1950)、朝鮮戦争の前後に沖縄の基地強化がはじまり、米軍兵士の駐留が増え、日本本土の大手ゼネコンが沖縄基地建設のため進出して来た。それと同時に娯楽施設として米軍基地内のクラブが増え、当時アメリカでポピュラーだったジャズメンの需要が増加し、東京やフィリピンから、大勢のミュージシャンが沖縄にやって来た。
沖縄は米軍基地の関係で、戦争と音楽家の需要の関係が敏感であった。朝鮮戦争はジャズの時代、1964年のベトナム戦争激化の時はロック時代で、祖国復帰の昭和47年(1972)頃はメッセージ性の強いフォークソングの時代であった。

沖縄県民に寄り添う民謡
そんなポピュラーソングの流れの中でも沖縄民謡はいつでも県民の愛唱歌として寄り添っていた。復帰から80年代は、本土化の流れがあったものの、年々三線人口は増え続け、今では5人に一丁は三線を所有するまでになった。沖縄民謡を知る事は、沖縄の歴史を知る事なのだ。


備瀬 善勝 PROFILE
多数の民謡音源の制作に携わる。百沖実行委員会の委員長。沖縄市でキャンパス・レコードを経営。作詞家としても活動しており、普久原恒勇、知名定男らに詞の提供もしている。


沖縄民謡史を語る 備瀬 善勝 INTERVIEW ARCHIVES 01


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