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2014年3月7日

沖縄の歴史と音楽 其の四 ビセカツコラム10

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連載:沖縄音楽かたやびら バックステージから見た沖縄音楽の歴史

沖縄の歴史と音楽 其の四
沖縄音楽は、歴史とともに変化してきた。琉球王朝時代から戦後の沖縄音楽までを解説。
邦楽ジャーナル(2000年7月出版)への寄稿文を基に
沖縄民謡界の重鎮ビセカツ氏が再監修し今に伝える連載コラム。

沖縄民謡の節の源流は「ウムイ」などの古謡
沖縄の新しい歌の多くは、昔からある曲に琉歌を乗せて歌うのが習わしであった。
その歌詞のアクセントで曲が変化し、その変化した歌にまた新しい歌詞が付き、それを繰り返す事で新しい節名が生まれた。
沖縄民謡に今でも情歌が多いのは、「ナークニー」の曲が一番琉歌に乗りやすく、毛遊びなどで良く歌われたからである。
沖縄民謡の節の源流は、「ウムイ」や「クエーナー」などの古謡や大和から流れて来た「口説」系、添田唖蝉坊に代表される明治演歌系(「十九の春」に代表される)、沖縄芝居の歌劇の中から生まれた芝居系にたどりつく。

沖縄の戦後復興は芸能から始まった
戦争、廃墟となった沖縄で、戦後の復興は芸能から始まった。
1945年12月25日に、全琉の収容所から集められた芸能関係者によって「クリスマス祝賀演芸大会」が開催された。
化粧品や衣装などあるわけがない。医療用具や日用品などありとあらゆるものを工夫して代用したのだ。
落下傘の布地、野戦用の蚊帳、シーツなどで衣装を作る。
マラリヤ薬のキニーネや消毒液のマーキュロ、タイプライターのリボンやカーボン紙などを染色剤に利用し衣装を染めた。
メーキャップは、頬紅はレンガを砕いた粉、白粉は胃腸薬、眉墨は鍋の煉をラードで煉って作った。
こうして多くの努力と工夫で開催された。
記念すべき幕開けは、島袋光裕の「かぎやで風」であった。
「クリスマス祝賀演芸大会」には、観客5,000人が石川市の小学校のグランドに集まったという。
焦土と化した沖縄ではあったが、芸能が沖縄の人の暮らしに根付いていることを示すエピソードである。

1946年、民政府文化部所属の公立劇団を組織
1946年4月、沖縄諮詢委員会を沖縄中央政府と改称。
「沖縄の人を元気づけるには芸能が必要」と公立劇団を組織することとあいなった。
1866年、琉球王朝最後の御冠船踊りから約80年ぶりに、当時の様な役者や地謡の適任審査が行われたのだった。
審査の結果、50人が民政府文化部所属の芸術技官という公務員となって、「松」「竹」「梅」の公立劇団として、全琉球をくまなく公演して巡り、県民に生きる力を与えた。


備瀬 善勝 PROFILE
多数の民謡音源の制作に携わる。百沖実行委員会の委員長。沖縄市でキャンパス・レコードを経営。作詞家としても活動しており、普久原恒勇、知名定男らに詞の提供もしている。


沖縄民謡史を語る 備瀬 善勝 INTERVIEW ARCHIVES 01


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