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2012年5月31日

宮永英一(紫)と70年代のコザBCストリートの旅をする。

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アーティストと旅する沖縄グッドロケーション & ショートトリップ
沖縄市・中央パークアベニュー|中部

沖縄復帰40周年企画、
宮永英一と歩く、コザBCストリート。

沖縄のアーティストがアテンドするミュージックジャーニー。今回は沖縄県復帰40周年特別企画。NHK TV番組『きんくる』とのコラボレーション企画。伝説のロックバンド紫のDr.としても活躍しているCHIBIこと宮永英一さんにBCストリート(中央パーックアベニュー)の歴史を振り返ってもらいました。時空を旅する沖縄音楽旅行、40年前にタイム・トリップ!!

KOZAには、エンターテインメント、生活の全てがあった。
戦後、沖縄のエンターテインメントは、コザに集まっていた。芝居劇場が5軒、映画館が12軒、そしてショウパブは無数にあったよ。今は、「中央パークアベニュー」という名前になっているけど、僕らは今だに「BC(ビジネス・センター) ストリート」だと思っている(笑)。両サイドに20m位の背丈の椰子の木、店の看板は、みんな英語。米兵相手のショウパブが所狭しと軒を連ねていた。まるで外国映画に出てくるストリートだった。彼らの目当ては、ストリップ・ショウ(笑)。そのステージの合間にバンドマンがロックを演奏していたんだよ。ベトナム戦争が激化していく中、米兵達も本物の激しいロックを望むようになる。そういう中から、紫、コンディショングリーンといったバンドが人気を博していった。紫は「タイガー」、コンディショングリーンは「ニュースター」、キャナビスは「キャノン」。当時この通りの真ん中辺りにこれらのハコが集中していて、人気バンドのデルタ地帯と呼ばれていたよ。このハコには、生活の全てがあったと思う。まずは、経営者、そしてボーイ、ホステス、バンドマン。それだけじゃない、米兵に花を売りにくるオバァ、チューインガムを売る子ども、靴磨きは入り口に座ってた。

今のKOZAに必要なのは、あの頃のバイタリティー。
72年に沖縄が復帰して、ベトナム戦争も収束に向かうころ、米兵達が求める音楽にも変化が訪れた。ジミヘン、ディープパープルなどのハードロック一辺倒から、ホームスイートホームのように哀愁を帯びた曲を好むようになった。今、思うと彼らはとても辛い立場にあったと思うんだよ。目の前で友が死に、明日は我が身。酒、そして音楽が彼らの支えだったんだな。僕らも生きるためにロックをやっていたから、当時はガチで戦っていたんだけどね……。やがて、沖縄も物質的にも豊かになり、町の名前もストリートの名前も変わった。もう閉店してしまったけど「ニューヨークレストラン」は、金持ちの米軍将校らが利用する所だった。でも、復帰後は一般のウチナーンチュもそこで食べている。米兵と民間人との裕福さにも格差がなくなった。それと同時に、活気まで失ってしまったような気がする。
復帰して40年、今コザに大切なことは、あのころの生きることに対するバイタリティー。それさえあれば、コザはきっと再生する。10年後の復帰50周年のには、沖縄市じゃなくて、コザに復帰するっていいんじゃない(笑)。

KOZA LIVE SPOT MAP

沖縄市ゴヤ十字路を中心にデフォルメしたLIVE HOUSE MAP。たくさんの音に出会える街、それがコザ。
復帰から40年。当時の沖縄に想いを馳せながらコザのライブ・スポットを音楽旅行!!


【紫/PURPLESSENCE】
CODE:QIHC-10007
RELEASE:10年6月9日
PRICE:3,000円(tax in.)

81年の紫解散後20年の沈黙を破り2010年にリリースした新音源。特におすすめは、「Into the Sun」。ギター、オルガン、ドラム、と、れぞれのソロ合戦は圧巻!!


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