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2012年3月2日

<沖縄音楽旅行 Vol.02>大工哲弘氏インタビュー

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OKINAWA GOOD LOCATION PHOTO ESSAY
『沖縄を返せ 沖縄へ返せ』〜コザの風景〜



民族の怒りに燃ゆる島〜。60年代後半から復帰にかけて歌われた唄「沖縄を返せ」。
歴史、そして沖縄のアイデンティティが刻まれた楽曲とともに、コザの街へタイムトリップしましょう!!

(photo:ジャン松元 text:三木愛海)

56年に全司法福岡高裁支部作詞、荒木栄作曲により発表された「沖縄を返せ」は、沖縄返還運動時に広く歌われた労働運動歌です。
この名曲を歌い継いでいるのが、大工哲弘氏。「67年頃、幾度となく開かれた本土復帰の集会に行っては、沖縄を返せを歌いました。そのときの様子は、故郷の高校を応援する甲子園球場のようだった。本土復帰を願う、祈り。県民があれほどに一致団結できたのは、歌にパワーがあるからです」と大工氏は言います。
51年から始まった本土復帰運動が実を結び、沖縄が返還されたのは72年。その間、コザは「基地の街」として発展を遂げます。そんな中、70年に起きたのがコザ暴動(コザ騒動とも呼ばれる)。「沖縄らしい活力をいちばん持っていた時代で、エーサインバーの前は毎日のように米兵と取っ組み合いの喧嘩が起きていました。人にパワーがあふれていたんですよね。この頃の沖縄を知っているということは、ある意味幸せ。沖縄だけに留まらず、日本中が復帰前の生き生きとしたパワーを取り戻してくれたら、世の中が変わるかもしれない」と、大工氏は若い世代に期待を抱いています。
90年に故筑紫哲也氏の講演会で「沖縄を返せ」を歌ったとき、若い世代の認知度が低かったことにショックを受け、歌い継ぐことを決意した大工氏。「歌は訴える力がいちばん強い。歌は魂です。だからこそ、沖縄を返せを歌っていこうと決めました。しかし、沖縄が抱えるあらゆる問題が解決し、「沖縄を返せ」が訴えるための歌ではなくなることを望んでる」と、唄者としての願いを教えていただきました。
72年の本土復帰から40年―。今年は沖縄にとって節目の年です。「沖縄を返せ」とともに、今一度、沖縄の歴史を振り返ってみましょう。

<大工哲弘 PROFILE>
八重山郡石垣市新川出身。71年石垣市主催「八重山とぅばらーま大会」で優勝経験を持つ。八重山民謡の第一人者で、沖縄文化民間交流協会東欧公演ツアー(スイス、ロンドン、ハンガリー、フィンランド)、沖縄文化民間交流協会中南米公演ツアー(グァテマラ、サントドミンゴ、チリ、マイアミ)に参加するなど、県内外で活躍する。
>>>大工哲弘公式HP

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【大工哲弘/『ウチナージンタ(OKINAWA JINTA)』】
ARTIST:大工哲弘
CD TITLE:ウチナージンタ(OKINAWA JINTA)
RELEASE:94年7月24日
PRICE:3,150円(tax in)
CODE:ON-1

大工苗子、大熊亘、中尾勘二ら豪華サポーター陣を迎え制作。「沖縄を返せ」、「汗水節」、「安里屋ユンタ」など、16曲の流行唄が大工哲弘によって歌われている。ちなみに、00年3月リリースのアルバム『沖縄かがやけ』には、歌詞をリメイクした沖縄を返せ21世紀バージョン「沖縄かがやけ」が収録されている。


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