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2011年11月16日

<沖縄音楽旅行 Vol.1>100OKI INTERVIEW「jimama」

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jimama インタビュー

12月10日に沖縄市のミュージックタウン音市場で、ワンマンライブ「jimama LOVE STORIES in OKINAWA CITY」を開催するjimama。意外にも沖縄市でワンマンライブを行うのは初めてなのだとか……。今回、音楽がひしめく街、沖縄市をワンマン開催の地に選んだのはなぜなのか。そこには、ワークショップで知り合った子供たちとのすてきな出会い、ドラマがありました。ライブでは「いろんな形での愛、家族だったり、恋人だったり、そんな愛の絆を歌えたらいいな……」と話していたjimama。そんなjimamaの音楽に対する想い、アーティストとしての素顔をたっぷりお届けします。

― jimamaさんは、アーティストとして活動する前は音楽とどのように関わっていましたか?
jimama アーティストとして活動する前は、音楽は活力をもらえる存在でした。歌が本当に大好きで、朝起きたとき、みんなと飲んでるとき、眠るとき……って感じで日常に音楽がありましたね。とくに洋楽が大好きで、イギリスやアメリカ系のバンド音楽を聴いていました。

― 音楽が身近にある生活、リスナーの立場から伝える側になってからは音楽とどのように関わっていましたか?
jimama 私の音楽のスタート地点は、「自分はこんな人だよ」って音楽を通じて自分を伝えるための手段だった。だから、当時は客席に向かう勇気すらなく舞台に背を向けて歌うこともあって、プロデューサーによく注意されていました。メンバーの中だけで音楽を奏でて、それで満足してしまっていたんですよね。今考えると、その当時は自分のためだけに、理解者を探すように音楽を歌っていたんですよね。それからしばらくして、人に向けて歌えるようになりました。

― 歌を作ること自体、一生かけての自分探しのような気がしますよね。
jimama 本当にそうですよ。でも、結局は伝えたことが自分に戻ってくる。人に向けて歌っても、伝わった人を通して自分の元にその言葉が返ってくるんですよね。そこで、自分を発見することもあります。

― それは、jimamaさんの音楽を聴いた方も同じで、音楽から何かを感じ、新たな自分を発見することにつながっていたりしますよね。
jimama そう、それがあれば良いなと思います。私もリスナーだったときは、「自分ってこんな部分もあったんだ」って、音楽を通して気付かされたことが多かったので……。例えば、映画を見ていても、気になる歌があったらサントラを買って、その中で好きな曲を見つけて、その人の訳詞付きのアルバムを探して買う! って感じで掘り下げながら聴くんです。洋楽って言葉がスッと入ってこないから、それぞれの好みに応じて音と感覚だけで気に入って聞く場合ってあるじゃないですか。たとえそういう入り方だったとしても訳詞を見ると、この人はこんなメッセージで歌っているんだっていうのが分かって、それが自分のなかにどんぴしゃにハマってもっと知りたくなっていく。音楽の背景が見えてくると、その人の生きてきた歴史みたいなものが見えてくるんですよね。それが面白くて。だから、私もそんなアーティストになれたらな……って思います。

― jimamaさんは音楽へ想いが強いし、掘り下げ方も半端なく深いですね。「音を深く知ることで、自分を知れたりする」。そんなことが提案できるような音楽ってすばらしいですね。
jimama そうなんです。今って音楽消費のサイクルが早いと思うんですよね。ってことは、「この人のこの曲が好き」、それだけで終わるパターンが多くなるんじゃないかって。「もっともっとその人のことを知ったら、もっといろんなことが見えてくるかもしれないのに、もしかして損してるかもよ? 」って感じるときもあります。いろんな曲を一曲ずつ聴くのも良いけど、その曲をきっかけに掘り下げることで、もっと音楽の枝葉が広がる気がします。

ー 確かにルーツを辿ることって大切ですよね。そういった音楽へのこだわり、聴き方が出来ていたからこそ、初めてのオリジナル「空へ」のように、心に響く歌を生み出すことができるんでしょうね。
jimama 「空へ」は、故郷の沖縄を思って書いた曲なんです。京都にいたときに沖縄のアーティストの方の歌を聴いたら、ものすごく沖縄が恋しくなって自然と涙がこぼれてきた。そのときの気持ちを「空へ」でストレートに書きました。京都で生活をはじめたときは沖縄に帰るなんて思っていなかったから、沖縄を離れることで、「やっぱり、私のホームは沖縄なんだな」って感じたんです。沖縄の家族や友達がそばにいないって、こんなに大変なことなんだって気付いた瞬間でもありましたね。沖縄が自分にとってはあたたかい場所っていうことは、京都にいたから書けたことだし。

― 京都での生活があったからこそ沖縄の良さも分かって、それが詞にも現れていて……。京都に出たことが確実にいい経験になったんですね。
jimama 本当に京都に行ってよかったと思います。京都に行ってなかったら、故郷のありがたみに気付けなかったかもしれない。昔の自分はかなり人見知りで内気だし、人と接することがとっても苦手だった。だから、余計に自分の感情や考えてる事をストレートに外には出せなかったりして、誤解が生まれたりしていたんです。でも、京都っていう馴染みのない場所では、沖縄にいたころのように守ってくれる人がいなかったから、気付けたことがたくさんあってメンタルも強くなれた。みんな表面的な笑顔の裏には、家族や友達、恋人とのことだったり、いろいろなことを抱えていたりじゃないですか。だから、表面的に見えたことだけでは、その人の心境とかを判断しなくなりましたね。「光と影」ってありますよね? 光がとても美しく見えるのは暗闇があるからで、それって人生にも当てはまると思うんです。辛いことあればあるほど、何かの達成感や素敵な出会いなんかが、ものすごい光になるんだなって感じた。やっぱり人は、山あり谷ありであるからこそ、輝けて、いい生き方が出来る気がします。

― 故郷である沖縄を離れたことで、自分自身としっかり向き合うことができたんでしょうね。それがさらに、「大丈夫」にも繋がっている。「大丈夫」は、jimamaさんにとっても存在の大きな楽曲になっていますよね。
jimama 「大丈夫」を書いたとき、「いい曲がかけた! 」って強く手応えを感じたから、絶対にいろんな人にこの曲を聴いてもらいたいって思ったんです。そのうち、CMのタイアップとして使ってもらえて、全国の人たちに聴いてもらう機会が増えて、その人たちと繋がるきっかけにもなって本当にうれしかった。これまでの出会いや生き方の中で、自分がものすごくひっかかった出来事とかは、きっと忘れちゃいけないんですよね。悲しいことがあると、ついつい目を背けたくなっちゃうけど、そこでしっかり向き合わないと楽しいこと、悲しいことの区別がつかなくなって感覚が麻痺しちゃうと思うんです。向き合えば向き合うほど自分自身も成長するし、物事の感情がはっきりしてくるから、自身と向き合うことって大切なんですよね。そこに人生の深みっていうものが出てくるんだと思います。

― 「大丈夫」といえば、3月11日の東日本大震災以降、チャリティーライブ「大丈夫 ~明日へ~ 」を行いましたよね。
jimama これから生きていく人たちは前を向いていかなきゃいけない。それを思ったとき、「気持ちが前に向いて気持ちが明るくなれば明るくなるほど、上をむけば上を向くほど、みんなが希望を持って進んでいけるんじゃないかな。悲しんでばかりもいられない」って思ったんです。だから、チャリティーライブのときは被災地のことを語るわけでもなく、とにかく明るい気持ちで義援金を集めたいって思いました。ライブに足を運んでくれた、みんなの優しく後押しするような気持ちがこもったお金を届けたいっていうのがものすごくあったんです。

― そう思えるようになったきっかけはなんだったんですか?
jimama 4月に開催された「What a wonderful world ~がんばれ東北! がんばれ日本! ~inOKINAWA(以下WWWと記載)」前後かな。「自分に何ができるのか……」って考えていたときに声をかけていただいて、WWWで歌を歌ったことで、会場のいろんな空気を感じとって、「遠くにいる自分たちだからこそ被災者の人たちに出来ることがあるんじゃないか? 今動かなきゃいけない」って強く感じました。この前、被災地の人たちの声を集めたVTRを見せてもらったんです。そのとき、被災地の方が「街は壊滅してしまったけど、人が残ってる。子どもたちが残ってる。それだけで大丈夫じゃないか、全然いける。人が残っているから復興していける」っておっしゃていたんです。物は何もなくなってしまったけど、人が残ってる。大人たちからしたら、これからの未来を作っていく子どもたちが残ってくれていることの嬉しさや大きさが、子どもたちの笑顔も含めて、前を向く希望になるのかなって。生きている人間がいる限り、物が生まれてくる。きっと街が生まれ変わっていくだろうって信じられる。これから何が起こるか分からないけど、人が残っているって大きいなって感じました。被災者の方の言葉を聞いて、私自身も励まされたんです。

― 今回の震災以降、jimamaさんから発信される音楽が、さらにピュアに伝わるようになったと思います。
jimama 震災が起きたとき、最初は私も頭の中が真っ白になって、音楽の価値とか全部分からなくなってしまった。こんなとき、私みたいな音楽を演っている人って何が出来るんだろうって本当に考えて……。「何にも出来ない。この状況で歌うこともどうなんだろう」ってこともすごく考えた。でも、動かないと何も変わらないし、音楽を辞めて何が出来るかって考えたら、何が出来るんだろうって余計に迷う自分がいて……。アーティストという仕事をしている今、私が歌を歌うことで歌を通じてみんなの気持ちを前に向られたらいいなって。歌で出来ることって、それなんじゃないかって。だからこそ歌にしか出来ないことがあるってことを強く感じて、そこから周りの人たちといろいろ話しをして、チャリティーライブ『大丈夫 ~明日へ~ 』をすることになりました。

― ライブのタイトル「大丈夫 ~明日へ~ 」。本当に想いがそのまま伝わるタイトルですが、このタイトルにするに当たってすごく悩んだと伺いました。
jimama「被災地の方は大丈夫じゃないじゃん」って思って、悩みました。でも、「大丈夫って言える日が絶対にくるって信じてる。大丈夫って言えるように、自分たちが一緒に前に進んでいこう」って気持ちが強かったから、『大丈夫 ~明日へ~ 』ってタイトルにしました。「明日に向かって少しでも進んで、少しでも復興していけるように。そして、いつか「大丈夫」って言える日まで辿りつけるように……」って願いを込めて……。

― 悲しみではなく、希望を共有し合うチャリティーライブにしたからこそ、伝わったことってきっと大きかったと思います。12月に初の沖縄市でのワンマンライブを行いますが、なぜ沖縄市という場所を選んだんですか?
jimama 沖縄市で子供たちと一緒にワークショップをしたことがきっかけで、沖縄市との接点ができたんです。ワークショップでは曲作りの段階から参加したんですが、最初は音楽をやっている感じではなく、人と人との対決みたいで道徳を学んでいるようだった。信用されないと言葉は出てこないし、最初はみんな壁を作ってしまうし。その壁を除いていくのは、すごく時間がかかった気がします。みんな、自分の中でいろんな葛藤とかがあればあるほど、最初のころ全然喋らなくて、言葉にできないんですよ。しかも、最初は背伸びしてくる。本当にそう思ってる? っていうような、その子の本心じゃない言葉、お行儀のいい文章を書いてきていたんです。そこから本音を出すのに時間かかったけど、よく子どもたちも出してきたなって思いますね。本当にみんなオリジナリティがあって、書いてくることがバラバラなんですよ。ライバルだ! って思うくらいすごくて!! プロでも言葉を失うくらい、すばらしい言葉が出てくるんです。子どもたちの赤裸々な詩を見ることで、心に刺さるものがあって泣けてしまった。最終的には作った曲をそれぞれ披露してもらって、ライブの最後には私の「優しい時代」という歌をみんなで歌ったんですが、私と子どもたちとのステージの一体感が出て、観客の方たちも泣かれている方が多かったようです。子どもたちが作った歌がとっても素晴らしく、人に伝わった大きな理由は、「自分の内面にある深刻な悩みを赤裸々に綴れば綴るほど、歌詞は人に伝わるんだ」って。音楽って、自分をさらけださないと伝わらない。簡単なようですごく深いんですよね。その時間がすごく楽しくかったです。だから、そのときに出会った子供たちにライブに来てほしいな……って気持ちもあって。それに、沖縄市にもjimamaとして何か築きたくて、ワンマンライブをしたいって思いました。

― ある意味、子供たちとだけじゃなくて沖縄市という街とも向き合った感じがありますね。ライブといえば、公演ごとに聞くトークがとっても印象的で心に響くものがあるんですよね。
jimama いまだにトークが苦手なんですよね。そもそも、ステージに一人で上がること自体、私のなかでは考えられないことなのに、トークもしなきゃいけないですからね。ライブ前はトークのことで頭がいっぱいになったりもするんです(笑)。ある程度、話すことは決めてたりするんですけど、途中で変わってきたりして……。ライブって本当にフレッシュなものだから、毎回同じことを言いたくないって意識が強すぎるんですよね。でも、ある時から言い方は変わってもいいけど、伝えたいことの芯はぶれないようにしようって。伝えたいことがしっかりしていれば、脱線しても元の話しに戻せばいいんだって思うようにはなりましたね。まぁ、過去には脱線しすぎちゃったこともあったんですけど(笑)。

― トークでも自分と向き合う瞬間があって、お客さんというフィルターを通して伝えたいことが自分に帰ってくる……っていう、音楽と同じ流れが一期一会のライブのなかでも行われているんでしょうね。
jimama そうなんですよね。だから、ライブハウスっていう場所で歌えることが幸せです。屋外で歌うときは爽快感があって気持ちいいんですけど、ライブハウスや劇場だと歌に集中できるし……。

― ワンマンライブ「LOVE STORIES in OKINAWA CITY」ではどんなjimamaを見せたいですか?
jimama jimamaとしてのライブってアコースティックな見せ方が多かったんですね。でも、今回の12月のライブは、バンドセットでにぎやかにしたいなと思っています。沖縄の中でも音楽がひしめく街、コザで、新たなjimamaが形づけられる第一歩のライブに出来たらうれしいですね。あとは、普久原恒勇先生の作曲活動50周年を記念した、トリュビュートアルバム『普久原メロディー』に収録した「草まくら」とか、新曲も歌いたいと思っています。私のなかでは、「草まくら」はすごくかっこいいアレンジになったんです。バンド形式でもできる楽曲に仕上がっているので、披露出来たらうれしいですね。たっぷり聞かせられるライブにしたいと思うし、家族で楽しめるライブにしたいと思っています。いろんな形での愛、家族だったり、恋人だったり、そんな愛の絆を歌えたらいいな……って。一つひとつの曲が愛の物語をちゃんと奏でられて、その愛で会場を満たせられるようなあったかいライブにしたいです。みなさん、12月のライブを楽しみにしていてください。


東日本大震災以降に行われたチャリティーライブ「大丈夫 ~明日へ~ 」について。
そして、12月10日(土)に行われるワンマンライブ
「jimama LOVE STORIES in OKINAWA CITY」について語っていただきました。


東日本大震災の被災地、南三陸町で行われた「第6回福興市」のダイジェスト。
jimamaが歌う「大丈夫」が優しく響いています。

<PROFILE>
那覇市出身のシンガーソングライター。jimamaとは、沖縄の方言で「自由奔放」という意味。2009年発売「大丈夫」をきっかけに活動の場が拡大。2010年には宮崎あおい、大竹しのぶ共演の角川映画「オカンの嫁入り」で、イメージソング「大好きな人」が起用された。


【jimama/『BEST OF jimama 〜君に贈るうた〜』】

ARTIST:jimama
CD TITLE:『BEST OF jimama 〜君に贈るうた〜』
RELEASE:10年1月13日
PRICE:3,059円(tax in)
CODE:ESCL-3360

jimamaの集大成ともいえる、初のベストアルバム。「でいご」、「街」はもちろん、全国の人たちと繋がる曲になったと自身が話す、「大丈夫」も収録されている。

jimama LOVE STORIES in OKINAWA CITY
日程:12月10日(土)
場所:ミュージックタウン音市場
時間:19:00開場 19:30開演
料金:前売3,000円 当日3,500円 ※ドリンク代別
出演:jimama
問合:PMエージェンシー TEL.098-898-1331


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