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2019年8月22日

宮沢和史 デビュー30周年 SPECIAL INTERVIEW|沖縄音楽旅行 Vol.32

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宮沢和史 平成元年のデビューから令和元年の新作まで、
留まることなく音楽に向き合い続けてきた30年の音楽の旅路を語る

2019年5月、デビュー30周年を迎えた宮沢和史。平成元年のデビューから令和元年の新作まで、留まることなく音楽に向き合い続けてきました。宮沢が語る30年の音楽の旅路、沖縄音楽旅行スペシャル・インタビューです。
Interview & Text:幸田悟

ーーデビュー30周年おめでとうございます
宮沢和史 ありがとうございます。

ーー宮沢さんの音楽と切っても切り離せない沖縄との関わりを含め、30年間の音楽の旅路を一緒に振り返ってみたいと思います。よろしくお願いします

宮沢 よろしくお願いします。

ーー沖縄と宮沢さんといえば1992年に発表した「島唄」。この歌を作ったキッカケは?
宮沢 東京にいる頃に沖縄の民謡と出会ったんですが「メロディー、言葉、三線の音色……、なんて美しんだろう。この音楽を作った島の人たちに会いたい」と思って沖縄を訪れました。いろんなカルチャー・ショックがあって……。特に戦跡を訪れたとき「戦後40年以上経っている(当時)にこんなにも戦争の爪痕が残っているのか」と大きな衝撃を受けました。それから、話を聞いたり調べたりする中で「たくさんの方々の命が奪われたり、地形も変わるほど鉄の暴風(艦砲射撃)を受けたのか」と……。その歴史的な事実にショックを受けると共に、「日本人として、なぜこんな大事なことを知らなかったのだろう」という自分に対する怒りと恥ずかしさを感じました。その穴を埋めるというか、何か自分で行動を起こしたいと「島唄」を作りました。僕みたいに沖縄戦について知らない人たちに音楽を通して届けたいと思ったんです。

ーー「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た……」歌の冒頭の歌詞ですが、この「嵐」がいわゆる戦ですね
宮沢 でいごが咲く年には、台風(嵐)が多いと聞きます。そして嵐、鉄の暴風が吹き荒れた。読谷の渡具知海岸沖が米軍艦隊で埋め尽くされ、真っ黒になった海。その写真を見た衝撃は、今でも残ってますね。絶え間なく放たれる砲弾……。「島唄」は、読谷からはじまるのです。

ーー鎮魂の思いを込めて歌う「島唄」、バンドサウンドに三線を融合するスタイルは、沖縄の若者にとっても新鮮に映りました
宮沢 当時、それが僕にとっては、とても不思議でした。沖縄に来てリサーチするけど、沖縄の面白い民謡やリズム、言葉があるのにどうしてロックバンドと融合しないんだろうと。喜納昌吉さんが、チャンプルーズでやってらっしゃいましたが、世代的には大先輩。僕ら世代は誰もやってなかったので、じゃあやってみようと三線を手にしました。

ーーセンセーショナルだったからこそ、賛否いろんな声、評価が聞こえてきたと思います。ご自身の葛藤も含めお話いただけますか?
宮沢 三線を弾いてレコーディングして、完成した作品に対しては満足していたんですが、発表することを少し躊躇したんです。ウチナーンチュではない僕が、琉球音階で曲を作り、三線を持って演奏をしている。歌詞は、平和をメッセージする歌だけどダブルミーニング(直接的な表現ではなく、比喩的表現を使い2つの意味合いを持たせメッセージを伝える手法)だし、戦争を体験した世代ではない。でも「お叱りもあるかもしれないけど、しっかり対処していこう」と決意。喜納昌吉さんにも相談しました。そしたら「魂までもしっかりコピーしていたら真似ではない、この歌はしっかり沖縄を捉えている。僕らも大和に行くから、あんたもこっちに来なさい」と言ってくれてリリースしました。沖縄の人の9割以上の人たちは「いい歌作ってくれたねありがとう」、「これで三線が知られるようになったよ」と言ってくれたのですが、危惧した通り「三線をロックに使うのはけしからん」、「島唄とタイトルをつけるとはなんたることか」などと、お叱りを受けました。ヒットすると数パーセントの意見でもたくさんの声になるわけです。くじけそうになりました。でもこの歌は、この島の平和、永遠に夕凪(平和)であるということを祈って歌っているので、ずっと歌っていればわかってくれるはずだと、現在まで歌い続けています。気がつけば、もう27年になりました。

ーー2001年にはアルゼンチンでアルフレッド・カセーロが日本語でカバーし大ヒット、地球の裏側まで「島唄」が旅をし、世界のウチナーンチュにも歌われるようになりました
宮沢 あのヒットで改めて世界中に沖縄の人がいるんだなと実感しました。実は、勝手に「島唄」は旅をしたわけではなくて、沖縄の人たちが手渡しで、口ずさんでくれたりしながら、いろんな国を渡り、アルゼンチンまで伝わったんです。アルゼンチンの食堂で流れている「島唄」をアルフレッド・カセーロが聴いてカバーするキッカケとなりました。

ーーあらためて宮沢さんにとって「島唄」とは
宮沢 「島唄」って一説には奄美の言葉とされてますね。「しま」が意味するところはアイランドではなく自分たちのいる地域としてのテリトリー的な意味合いとしての「しま」。この歌は、沖縄で作った歌なんですが、歌う人の故郷、歌う人の「しま唄」なんだと思います。ジャマイカの人がカバーしてくれたら、遠いアフリカの母なる大地が見えてくるし、イギリス人が歌うと霧がかったドーバー海峡が見えてくる。僕の手から離れてそれぞれの人の「島唄」だと思います。

ーーさまざまな形で沖縄音楽に貢献してます。まずは、2012年にスタートした『くるちの杜100年プロジェクト in 読谷』について教えてください
宮沢 「島唄」を発表した何年もあとに三線職人の方々と呑んでたら、「あの歌はとっても良かった、おかげで三線もたくさんの人が弾いてくれるようになったし、俺たちも作り甲斐があるよ。でもね、あの後から三線の棹を制作する木材、琉球黒檀が足りなくなって輸入が始まったんだよ」と。その時には、三線職人の方も場を盛り上げるために話してくれたんだろうと思うんですが、僕的には笑えなくてね……。三線が普及したことがいいことだけど、琉球黒檀の三線が必要な人に、届けることができないということ。だったら植えて育てるしかないということで、色々調べてみました。すると、黒檀という木は、三線の棹になるくらいだからとても硬い木。なので材料として使えるようになるには、最低100年、ものによっては200年〜300年かかるということが判明。これは、ひとりでできることではないと、平田大一さん(前・沖縄県文化振興会理事長)にお話したんです。そしたら、数年前に読谷村の座喜味城跡の敷地内で三線を植える事業があったが、それが終了し半ば宙ぶらりんになっているから、それを引き継がないかと。それでスタートしたのが『くるちの杜100年プロジェクト in 読谷』です。月に一度、草刈りをしたり、年に一度は音楽祭をしたり、おかげさまで徐々に参加人数も増えてきてます。この木が三線になるまでには、100年以上かかりますから、いま草刈りしている人たちは、この木で作った三線の音は聴けないわけです。でも、「子どもたちがこれで三線を作って弾いてくれるといいな」という共通の夢を持つこととができる。浪漫ですよね。そして、もしこの木が三線になるということは、この島には100年〜200年、戦争がなかったということになる。そういう裏のテーマもあります。

ーーさらに2016年、CDボックス『沖縄 宮古 八重山民謡大全集 唄方~うたかた~』を制作しました
宮沢 常しえのお手本となるような沖縄民謡の音の教科書を残したかったんです。約250名の唄い手を訪ね歩き、269曲をスタジオ収録。その中から次世代に伝えたい沖縄民謡245曲を選択し17枚のCDに納めました。140ページ の解説書をセットにし4年以上の歳月を費やし、完成したのが『沖縄 宮古 八重山民謡大全集 唄方~うたかた~』です。非売品で制作し、県内中学校、高学校、大学、特別支援学校、図書館、国内外の県人会など約500ヶ所に寄贈しました。僕は、民謡ファンなんです。民謡がいつまででも聴こえてくる、三線の音がどこからともなく聴こえてくる島であって欲しいという思いがあります。民謡は極端な話、一代限り。弟子は、師匠を超えていくものだから、徐々に変化していく。だからこそ、いま個性を活かして歌っている唄者の歌を残しておいたほうがいいのではないかと思いました。2011年ごろ「登川誠仁さんが、体が辛そうで歌う機会が減っているようだ」という話を聞き、まずは登川誠仁先生の歌を録るところからはじめました。

ーー登川誠仁さんの収録のエピソードを
宮沢 収録は、主に沖縄市のイガルースタジオで行ってましたが、動くのが辛いということで、先生のご自宅で収録することになりました。エンジニアがレコーディングのセッティングをしてる間、僕にいろんな話をしてくださる。そしてやっとセッティングが終了しミキサー卓の前にエンジニアが座った瞬間を見計らって突然、演奏が始まりました。それも登川誠仁的、粋な演出なのかもしれませんね。この録音は生前最後の録音となったということです。選曲された曲が沖縄本島の民謡の魂である「ナークニー」というのが素晴らしいですね。

ーーさて、ここで沖縄音楽旅行的視点で宮沢和史の30年の音楽生活を振り返ってみたいと思います。1990年にリリースたアルバム『ジャパネスカ』。このアルバムには、「中央線」という名曲も収録されてます。さらに、「ひゃくまんつぶの涙」では、三線など沖縄音楽的な要素も盛り込みました
宮沢 「ひゃくまんつぶの涙」は、僕にとってはトライアル的な曲。琉球音階で作曲し、琉球的なリズムで三線を思わせるフレーズも入ってる。でもどうしても歌詞が出てこないんです。どうすればいいだろうと考えていたころ、人生で初めて沖縄に行きました。そしたら、言葉が湧いてくる湧いてくる。それで結局できた詞が戦争で生き別れた夫婦の話なんです。でも、その時は戦跡などを巡る前で沖縄戦の詳しいできごとは、知らなかったとき。でもこの歌ができたということは、神がかったことはあまり言わないんだけど、もしかすると何かもらったのかもしれません。

ーー1992年にリリースした『思春期』に「島唄」を収録。1994年には、インドネシア、ジャマイカ、アフリカ、南米など世界各地のネイティブなリズム、サウンドとロックを融合したアルバム『極東サンバ』を発表。「風になりたい」、「ブランカ」など数々の名曲が誕生!!
宮沢 やっぱり沖縄がキッカケですよ。沖縄を知るまでは、僕の作品はインナーサークルの世界。「内なるものから発信して、それに共感してくれる人が聴いてくれたらいい」。無意識にそういう考え方だったんです。沖縄を訪ねて外の世界を知る、知らないことを知る喜び「無知の知」を感じ、門が開けました。どこまでも行ってしまえって、たどり着いたのが、ブラジルだったりキューバだったりインドネシアだったり。スパイスとして取り入れるのは嫌で、実際に現地に足を運んで飛び込んでいきました。何をやるのか?どうなるのか?そこで生まれる化学反応を大切に活かしていくのが僕の音楽の作り方でした。

ーー2002年には、世界を旅して再び沖縄をテーマに「太陽アカラ波キララ」、「沖縄に降る雪」、「さとうきび畑」、「十九の春」などを収録した『OKINAWA ワタシノシマ』をリリース、そして『よっちゃばれ』では、和の世界へと回帰し、自身のルーツを掘っていきました
宮沢 『OKINAWA ワタシノシマ』は、2002年にリリースした当時の沖縄への思いをアルバムに。前出の「ひゃくまんつぶの涙」や「島唄」も新録するなど、沖縄の名曲も含む全13曲を収録してます。『よっちゃばれ』は、「日本人の親善美、誇りを取り戻そう! 」というメッセージを込めたアルバム。そのコンセプトのもと全10曲を収録。タイトルの「よっちゃばれ」は、僕の生まれ故郷、山梨県の言葉(甲州弁)で「寄ってきて」「集まって」という意味。

ーー2016年に体調不良を理由に歌手活動を休止していた宮沢さんが、歌手活動復帰。そして約3年振りとなるソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリース!!
宮沢 体調を崩して歌手をやめたんですけど、体調が少しずつ戻ってきて、「ちょっと歌ってみようかな」という気持ちになれたんです。活動を再開するにあたって新曲を届けたいと思いました。それで昨年の6月、原点に帰ろうと故郷山梨県の山小屋を借りて篭って制作したアルバムが『留まらざること 川の如く』です。タイトルには、「川の流れの中で、自由に泳ぐ魚のように自由に歌う身でありたい」という意味を込めました。収録曲は、休業中に制作した提供曲4曲のセルフカバーと新曲4曲の計8曲を収録。アルバムは、約3年振りとなりますが、全曲僕が書き下ろしたアルバムは、8年ぶりとなります。

ーーファンならずとも待望のアルバムですね。それでは、収録曲の解説をお願いします
M.1「Paper Plane」
宮沢 「紙飛行機って、落ちるのがわかってて、なんで飛んでいるんだろう?」と思って。それを自分の人生と重ねて書いた曲です。非常にシンプルなアレンジ。沖縄でも撮影したミュージックビデオもぜひご覧ください。

M.2「歌ったことのない歌」
宮沢 なんの困難もない平坦な人生ってつまんないじゃないですか。行く先に障害があり、なんか嫌だなと思いながらも進んでいく。そういうことがもしかすると幸せなのかなと。そんな思いを歌詞にしました。

M.3「よんなー よんなー」
宮沢 夏川りみさんとのデュエット曲です。夏川りみさんとは、農場契約のような関係(笑)、「いい曲できたらちょうだい」って。俺、農家みたいな(笑)……。歌詞は、「ゆっくりゆっくり歩いていこうね」という内容です。

M.4「梅花藻」
宮沢 梅花藻とは、河川の中に生息する植物。まるで梅みたいな花をつけることから梅花藻という名前がついてます。山梨でテレビ見てたら「梅花藻が咲きました」というニュースが流れたんです。それで誕生したのがこの曲です。

M.5「亜壇の心」
宮沢 しっかりと根を張る沖縄独特の木「アダン」。無言で何も語らない硬派な印象の「アダン」が僕は昔からとても好きで。それを女性の人生に照らし合わせて歌詞を書きました。ネーネーズへの提供曲として制作、今までにないイメージの曲を作りたかったんです。サウンドは、南米のフォルクローレのアレンジで仕上げました。

M.6「歌手」
宮沢 僕は、3年前に歌手を引退しました。高校生の頃からずっとマイクを握ってきた手。マイク・マメがずっとあったんですけど、ふと手を見つめるとそれもないなと。もう俺はほんとに終わったんだなと思った。その状況をメモしておこうと書いたものなんです。もう、歌うこともないし、日の目を見ることもないのに何してるんだ俺って……。しかも曲をつけ易いように文字数も整ってて、詞にリズムがある。職業病ですね(笑)。

M.7「わしま」
宮沢 これは、島猫映画「Nyaha!」の主題歌として作った曲です。実は、猫目線で歌詞を書いてます。人間は、自分たちの「わしま」だって思ってるけど、猫だって「わしま」だって思ってる。猫の「島唄」です。

M.8「Next to you」
宮沢 2017年にKinKi Kidsが20周年を迎えるにあたって、ベストアルバムを出すので、書き下ろしの曲を入れたいということで頼まれました。トップスターのふたりが、ずっと続けることって大変ですよね。その距離感がとても大切だと思うんです。ふたりの距離を歌にしました。

ーー全体的にとてもフラットに仕上がっていて、より宮沢和史を身近に感じることができる作品ですね
宮沢 音楽から完全に離れてたことで、ロックバンドの宮沢とか個人の宮沢とか、客観的に見つめ直すことができたんですね。だから、「人間 宮沢和史」みたいなところで歌が作れるようになった気がします。

ーー令和に求められる沖縄音楽とは?
宮沢 この島は、幸か不幸かいろんな周りの力の影響受けて揺れる時代を繰り返してきました。それは、島に吹く風のようにどんどん変化していくことである。そしてこの島には、その時代時代を切り取った歌がずっと存在してきました。今の若い人たちにも、東京や世界を見つつも現在の沖縄を歌にして欲しいな思います。

ーー最後に読者にメッセージをお願いします
宮沢 年を追うごとに沖縄に足を運ぶ機会が増えてます。たぶん僕の人生のゴールを切るまで、沖縄と関わり続けていきます。『くるちの杜100年プロジェクト in 読谷』や『沖縄民謡大全集 唄方』の他にやりたいことがまだまだたくさんあります。この島の芸能がもっともっと盛り上がっていけるように、ちょっとだけお手伝いできたらなと思ってます。末長くお付き合いください。

宮沢和史 沖縄ミュージックジャーニー アフタートーク 110
2019年7月5日放送分の収録後のNHK-FM 番組「沖縄ミュージックジャーニー」アフタートークです。
今回は、今年5月、デビュー30周年を迎えるとともに、約3年振りとなるソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリースした宮沢和史さんをお招きし、お話を伺いました。楽しいトークを是非ご覧ください!!

【宮沢和史 PROFILE】
1966年山梨県甲府市生まれ。THE BOOMで1989年にデビュー。2014年、惜しまれつつTHE BOOMは解散し、2016年には、体調不良を理由に歌手活動を休止。その後、休養期間を経て歌手活動を再開し、今年5月、デビュー30周年を迎えるとともに、約3年振りとなるソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリースした。
▶︎宮沢和史 Website

ARTIST INFORMATION

【宮沢和史/留まらざること 川の如く】
ARTIST:宮沢和史
CD TITLE:『留まらざること 川の如く』
RELEASE:2019年5月22日
PRICE:2,500円(without tax)
CODE:YRCN-95300
詳細:宮沢和史 Website


宮沢和史 「Paper Plane」MV(Short ver.)
【留まらざること 川の如く 収録曲】
M.1「Paper Plane」
M.2「歌ったことのない歌」
M.3「よんなー よんなー」with 夏川りみ
M.4「梅花藻」
M.5「亜壇の心」*ネーネーズ提供曲
M.6「歌手」
M.7「わしま」*島猫映画「Nyaha!」主題歌
M.8「Next to you」*KinKi Kids 提供曲

宮沢和史 出演 沖縄イベント
くるちの杜100年プロジェクト in 読谷2019
日程:2019年9月22日(日)

宮沢和史 デビュー30周年記念コンサート
東京公演
場所:Bunkamuraオーチャードホール(東京都渋谷区)

日程:2019年10月18日(金) 開場18:00/開演18:30


大阪公演
場所:フェスティバルホール(大阪府大阪市)

日程:2019年10月24日(木) 開場17:30/開演18:30

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