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2015年3月10日

沖縄の歴史と音楽「沖縄出身の流行歌手」 ビセカツ連載コラム14 沖縄音楽旅行Vo.14

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ビセカツ連載コラム14:沖縄音楽かたやびら「沖縄出身の流行歌手」

「日本全国へ飛び出していった沖縄出身の流行歌手

1961年のヒット曲「川は流れる」を歌った仲宗根美樹は沖縄出身初の全国的に名前が知られた歌手であろう。

1971年ベンチャーズ作曲の「京都の恋」を歌った渚ゆう子は、母親が沖縄は宮古島の出身。
同年「小指の思い出」の伊東ゆかりは、東京生まれながら父親は沖縄県那覇市の出身のミュージシャンだったときいている。
シンシア南沙織は地元TV局で子供番組の司会のアシスタントのとき、CBSソニーにスカウトされ1971年に「17才」でデビューして一躍トップスターになった、本名内間明美だ。

1973年、日本のジャクソン・ファイブというキャッチフレーズでデビューしたのが沖縄県中部の具志川出身の玉元家五人兄妹、フィンガー5だ。「個人授業」でデビューし、「学園天国」「恋のダイヤル6700」とヒットを連発し日本中を熱狂させた。
1979年第21回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞したのは「私のハートはストップモーション」の桑江知子は、コザ(現沖縄市)出身だ。個性が強く歌唱力もあった。ポップスからラテン、ジャズまで、幅広く歌いこなし、ここ数年は、生まれ故郷の沖縄の民謡を取り入れながら、独自の世界を表現している。2013年には、「私のハートはストップモーション Bossa Nova ver.」をリースした。

沖縄出身の流行歌の作曲家といえば、第1回日本レコード大賞の作曲賞を「夜霧に消えたチャコ」で受賞した故渡久地政信がいる。沖縄のメロディーを基調に曲作りをした作家で、彼の曲を沖縄の人が聴けば、沖縄音楽の匂いを強く感じるはずだ。
「上海帰りのリル」、「お富さん」、「踊子」、「島のブルース」、「長崎ブルース」など沢山のヒット曲を世に送り出した。

復帰の年(1972年)にフォークソングの佐渡山豊が全国デビューする。1975年にはロックの「紫」が、1977年に同じくロックの「コンディンショングリーン」と「喜納昌吉とチャンブルーズ」が「ハイサイおじさん」のヒットでデビューし、1978年知名定男も民謡とは一味違う「赤花」で全国デビューした。1980年代後半にりんけんバンド、1990年に知名定男プロデュ―スのネーネーズのデビュー……。沖縄のミュージシャンがどんどん東京のメジャーなレコード会社で活躍するようになった。それがやがて、沖縄の匂いがしないMAXや安室奈美恵やSPEEDといったアクターズスクール出身のアイドルたちへ続いていった。

バックステージから見た沖縄音楽の歴史
沖縄音楽は、歴史とともに変化してきた。琉球王朝時代から戦後の沖縄音楽までを解説。
邦楽ジャーナル(2000年7月〜出版)への寄稿文を基に
沖縄民謡界の重鎮ビセカツ氏が再監修し今に伝える連載コラム。

備瀬 善勝 PROFILE
多数の民謡音源の制作に携わる。百沖実行委員会の委員長。沖縄市でキャンパス・レコードを経営。作詞家としても活動しており、普久原恒勇、知名定男らに詞の提供もしている。


沖縄民謡史を語る 備瀬 善勝 INTERVIEW ARCHIVES 01


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