
沖縄民謡界の風雲児 登川誠仁と民謡番長 知名定男、奇跡のデュオ・アルバム
沖縄民謡界の風雲児と呼ばれた登川誠仁と民謡番長 知名定男との奇跡のデュオ・アルバムCD『登川誠仁 & 知名定男』が、2004年にリスペクトレコードからリリースされて20年以上。この作品のリリース20周年を記念したアナログ盤が2024年6月19日にディスクユニオンから発売されたとも記憶に新しい。このアナログ盤がリリースされたことでCDの問い合わせが急増! ということで再度、登川誠仁・知名定男『登川誠仁 & 知名定男』(CD)のレビューを掲載します。
リリースから20年以上経っても売れ続けている
CDアルバムの名盤『登川誠仁 & 知名定男』
カチャーシ曲のアッチャメー小、登川流十九の春、ナークニーからハンタ原の情感溢れるメドレーの素晴らしさ 。 まさにワン・アンド・オンリーの沖縄民謡の大傑作にして大注目作。
『ナビィの恋』、『ホテル・ハイビスカス』の出演を経て、一躍時の人となった琉球 民謡協会名誉会長の登川誠仁と『バイバイ沖縄』の大ヒット、ネーネーズのプロデュー サーとしても知られる知名定男。2人が本格的に組んだ初のアルバムが完成しました。 沖縄民謡界を代表する2人が組んだ、まさに待望の作品です。
1945年生まれの知名定男は12歳の時、登川誠仁の弟子となり、長くその門下で教え を乞いながらも、独自の世界を磨いて来ました。1975年にリリースされた登川誠仁のアルバム『美ら弾き』では素晴しいサポートプレイヤーとしてレコーディングに参加 しました。1995年から再開された『琉球フェスティバル』ではプロデューサーとして、 日本武道館にて登川誠仁と故嘉手苅林昌のジョイントを企画、また2001年9月東京にて行われた登川誠仁の久しぶりのコンサートは、知名定男の力添えなくしては実現しませんでした。本作はその様な長きに渡る2人関係が形になった初のジョイントフル アルバムです。
アルバムのレコーディングは2003年11月27日からコザの普久原スタジオで実施。「これとは (知名定男とは)いま迄この曲は演奏したことがない。今回、是非やってみたいんだ」 とのコメントのもと演奏された「アッチャメー小」。登川と元ネーネーズの吉田(宮里)康子がお互い顔を見合わせながら演奏し、吉田の三板に乗せられて、踊るようにに太鼓を打った「金細工」、「挽物口説」など、聴きどころが満載。
奇跡のデュオ・アルバム『登川誠仁 & 知名定男』、沖縄音楽ファンはマストバイの逸品だ。
【登川誠仁&知名定男/登川誠仁&知名定男】
ARTIST:登川誠仁&知名定男
CD TITLE:『登川誠仁&知名定男』
RELEASE:2004年4月21日
PRICE:3,300円(tax in)
CODE:RES-79
詳細:リスペクトレコード『登川誠仁&知名定男』Website
【『登川誠仁&知名定男』収録曲】
M.01 スーキカンナー
M.02 油断しるな
M.03 金細工
M.04 十九の春
M.05 アッチャメー小
M.06 メドレー ナークニー / 汀間とぅ
M.07 川平節
M.08 メドレー スンガー節 / 永良部百合の花
M.09 豊節
M.10 ハンタ原
M.11 加那ョー
M.12 新デンサー節
M.13 前当小の主
M.14 メドレー ヤッチャー小 / 泊高橋
M.15 メドレー 挽物口説 / 唐船ドーイ
【登川誠仁 PROFILE】
1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽〜芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!〜Just One Night at CAY 2010.8.29〜」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。
【知名定男 PROFILE】
1945年大阪生まれ。父は琉球民謡界に多大な功績を残した故・知名定繁。
小さい頃から音楽的才能を発揮し、1957年、米軍統治下にあった沖縄へ密航、登川誠仁に師事することになる。同年「スーキカンナー」で華々しくデビュー。72年沖縄音楽史上空前の大ヒット曲「うんじゅが情どぅ頼まりる」を作詞/作曲。78年にはアルバム「赤花」で本土デビュー。収録曲「バイバイ沖縄」は島唄にレゲエをミックスさせた曲として注目される。その後91年からネーネーズのプロデュースを始め、同年ソロアルバム「島うた」、92年には「島や唄遊び」、96年には二代目襲名披露公演のライブ盤「遊び唄・情け節」を発表。またブラジル在住の沖縄系二、三世でつくる民謡グループ、トントンミー、男性4名からなる琉球民謡グループ、ザ・フェーレー、鳩間島出身の鳩間可奈子、吉田康子、新生ネーネーズなど、多数のアーティストのプロデュースも手がけている。2004年には師匠の登川誠仁とアルバムをリリース。同年9月大阪ドームの琉球フェスティバルに2人で出演。現在琉球音楽協会会長を務め、那覇の国際通りでライブハウス島唄を運営している。
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